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zoom RSS 本当の反戦とは何か?

<<   作成日時 : 2005/11/28 02:32   >>

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うーんと唸らされた記事があります。
とあるブログのとある記事です。

「私は戦争映画が結構好きである」
のっけから「反戦」という命題に反する挑戦的な言葉!
しかも、それが何故反戦に繋がるのか!?

今回はピーノの私見抜きに、皆さんどうぞご覧になって下さい。






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本当の反戦

 私は戦争映画が結構好きである。
 先日はスターシップトルーパーズ2を観た。 最低だった。
 サスペンス仕立ての陳腐さに、また陳腐な反戦テーマがつくのだから、どうしようもない。
 前作も、アクションとしては面白かったが、原作の小説に比べれば深みが足りないと思う。

 そもそも反戦なんてテーマは簡単だ。
 無垢な人が死んで、声を交わしていた人が死体となって転がる。
 遺族の涙があり、戦災にさらされた町が映される。
 要は戦意高揚映画の逆をやれば、出来てしまうのではないかと思う。
 そして監督が平和の願いを込めれば込めるほど、陳腐に成り下がるような気がする。

 その点、バンドオブブラザーズは、事実を元にして作られているだけあって、むしろ反戦の思いがもりあがるのだ。。
 マーケットガーデン作戦で、オランダにおりたE中隊(主人公達の部隊)が、ある町に到着し、その町はナチスからの解放を祝ってお祭り騒ぎになる。歓喜にあふれる町の一角で、幾人かの女性達が男達によって引きずり出されて、頭をバリカンで丸坊主にされていくのである。理由をとう主人公達に、町のレジスタンスが答える。
「ナチに体を売った女達だ」と。

 戦争はしたくないものだ。当たり前だ。
 でも、戦争は離婚と同じだ。誰だって初めから離婚を考えて結婚しないように、戦争を考えて外交する訳ではない。
 だけど、相手のメッセージを無視したり、結婚生活より優先するものがあったり、あんまり自分が酷い振る舞いをしてたりすれば、自分の思惑と関係なく、離婚を告げられることがある。
 戦争も同じ事だ。
 だから、憲法9条は、カトリックの離婚の禁止規定と同じようなもので、現実には離婚が後を絶たないように空文化する。
 それでも離婚を自分に禁ずるなら、相手はDVや浮気やたかりなどやり放題になるだろう。
 結局、それは、自分の自己満足で相手をスポイルしているのである。
 同じように、日本も韓国や北朝鮮、中国をそう言う意味でスポイルして、火薬庫に仕立て上げているのかもしれない。

 反戦と言えば軍隊に反対することや、旧軍の旧悪を暴くことや、反米をすることというステロタイプはやめよう。
 教え子を戦場に送らないと言って自衛隊を無くせば、教え子を戦時国際条約で守られない即時処刑可能なゲリラにしてしまう可能性は充分にある。
 旧軍の旧悪を暴いて、北東アジア諸国に賠償をしてみたところで、それが軍事費に使用されれば、それは世界平和を崩す手助けをしているのに等しい。
 それは反戦では全く無い。反対に戦争の火種をつけてまわっているのと同じ行為だ。
 さらに、その結果として核製造能力をもった日本に無闇な危機感を感じさせれば、それはアジアの軍事的緊張を高める結果にしかならない。事実、今北東アジアに軍事的緊張が高まっているが、その方向を国民は底堅く支持している。
 日本にしなくても良い外交的譲歩を強いるたびに、その国は日本を少しずつ右翼化させ、極東戦争への道を作っている。それに賛同する反戦運動家は、道を舗装するのを手伝っているに過ぎない。
 まったくもって馬鹿げたことである。

 政治家や大企業が自分たちの利益のために戦争をしていたがっているなんて、ほとんどが幻想である。
 むしろ本来の国のあり方と屈辱に満ちた現状の落差に歯がみする人々と政治家が結びついて戦争が起こるのである。欺瞞と駆け引きに満ちた外交交渉は、正直に言ってまどろっこしい。成果もそうは上がらない。
 そうだからこそ、戦争という一撃で敵をたたきのめすという幻想に目を奪われるのである。

 だから私が思うに、本当の反戦とは安全保障上の国民が感じる憂いを出来るだけ少なくすることである。
 それが証拠にEUはドイツ、フランス、イギリスの各国の武装が、その他の国にとって脅威でなくなったため、あそこまで軍縮が出来て、EUを結成し、本当の反戦を達成しつつある。もはやイギリスとフランス、ドイツとフランス、イギリスとドイツが戦うことは考えられなくなった。

 これらの例からみると、経済に深刻なダメージを与えず、しかし国民が感じる不安も最小限にできる軍備と政治こそが、本当の反戦をもたらすのである。
 だから反戦というのを可能な限り真摯に考えるのならば、核武装という結論に至るはずである。
 自分が敵国に大打撃を与える核戦力を持っていれば、通常戦争は容易には起こらない。反戦になる。
 また、敵国指導者の暗殺といったブラックオペレーションも反戦を唱えるなら考えに入るはずだ。
 1940年にヒトラーを暗殺していれば、どうなったかということだ。
 さらに、友好的な軍事強国とのさらなる関係強化も戦争の可能性を低くするし、他国から戦争をふっかけられる可能性もやはり低くする。反戦を考えたら反米など出来ない。
 そして、国内の外国勢力とつるんで自国を弱体化させようとしたり、テロを起こそうとするやからは、全部とっつかまえるか監視して、戦争のチャンスだと思わせるような隙を見せないようしたり、戦争が可能だという情報を送らせないようにしなければならない。それも反戦だ。

 なんてことはない。本当の反戦とはアメリカ合衆国や西欧諸国のやっていることである。
 過去からずっと戦争にあけくれて、山ほど死人を築いてきた連中がやっていることを、反戦を考える人間は真摯に見つめなければならないだろう。戦争は避けがたい人類の業であり、それをくぐり抜けてきた連中の軍事的知見を軽視することは、馬鹿げた行為だ。
 日本を戦争から遠ざけたのは、そういう知恵に支えられた米軍の兵力であり、憲法9条はその副次的要素にすぎない。
 稼ぎが良い男が、金の力で離婚に陥らなくて良いだけなのに、本人はかたくなにカトリックの教えを守っているから離婚を逃れているのだと思うようなものである。

 反戦念仏や憲法九条経文を信じる人間は、自分一人の脳内の妄想は信じるが、過去の歴史での人の営みや苦悩を無視する。だが良いことしていると思い上がるときほど、人間にとって危ういときは無い。
 日本が反省すればアジアに平和が来るというのは、日本の鼻持ちならない思い上がりである。
 俺が謝れば、妻は必ず許してくれると思い上がる馬鹿な男と一緒である。
 自分の誠意が必ず通用するという思い上がりと、自分がこれだけやったのだから必ず許してくれるという思い上がりである。

 それゆえ反戦運動は、多少とも知恵が有る人間には歴史への無知と人間性の無知の二つのポイントで嘲笑されるのである。そして物語に織り込んだとき、その戦争という究極の人間性への理解の浅さが、くっきりと浮かび上がって、物語を陳腐に貶めるのである。

 だから私はしっかりと作られた戦争映画が好きである。戦争というまさにカオスで暴虐な流れが人を揺さぶるとき、善でもあり悪でもある矛盾する人間性が際だつからである。
  
   
PS.日本人ではないアジアの人々へ
 相手が何回も謝ってくれば、ある程度のところで許すというのが、日本人の慣習である。
 ましてや、当人は許さなくても子孫まで許さないということはない。
 もしある人が日本人に子々孫々にまで何回も謝罪を要求し、完全服従を要求した場合、それを日本人は戦いへの挑発ととるのである。
 その人にとっては、真の謝罪とは完全に自分の言うことを受け入れることだと考えていたなら、そのうちに日本人は拳を固めて殴りかかる準備をしていることだろう。
 日本の論理が大陸に通じなかったように、大陸の論理も日本には通用しない。それだけのことである。

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