ピーノの独り言

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zoom RSS 11月23日のニュース23に思ふ

<<   作成日時 : 2005/11/24 12:41   >>

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11月23日のニュース23で「ブログとジャーナリズム」に関して、特集があったそうです。
残念ながら見逃してしまいました・・・orz

それでも、様々なBlogが取り上げてくれているので、内容はそれらの記事から推し量る事は出来ます。
いい時代になったものだ。

さて、実際の放送内容はBlogに関して批判的。
その理由は、
@情報の取捨選択が出来てしまう(都合のいい情報しか耳に入れない様になる)
Aナショナリズムに利用される
B一般人には立ち入る事の出来ない現場があり、報道のプロが必要

内容は下記のブログがうまく説明されていますので、ご一読を。

http://blog.goo.ne.jp/stray_cat1981/e/220b2d41d9579a0298919abc2dac0c3a


インターネット、そしてブログの登場は何か連想させるものがあります。
それは、印刷技術の大幅な進歩による宗教改革の事。
「プロテスタント」とは既存のカトリックのやり方に対する「抗議」の意味です。
中世キリスト教は神の言葉を聖職者が独占し、彼らがフィルターとなって教義を信者に配布していました。
しかし、聖職位が政治的取引に利用されたり(教皇位の世俗化)、免罪符の販売に見られる聖職者の堕落が信徒の不満を招き、ルターの免罪符批判が発端となって宗教改革に発展しました。

そもそも当時のローマ教会の体質とはどのようなものだったのでしょうか?

ここから引用
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まず第一に挙げられる、教会の世俗化や腐敗堕落。こうした現象は、中世末期以来数かぎりなく挙げることができる。とくに、教皇庁はとてつもなく巨大な機構になり、教皇は世俗君主とまごうほどのぜいたくな生活をするようになっていた。それを維持するためには莫大な収入が必要であったが、それを満たすために教皇はさまざまの手段と名目で金をかき集めていた。十分の一税、聖職の売買、そして免罪符。金もうけのプロであるメディチ家出身の教皇レオ 10世にいたっては、現在の値段にして10億円以上の年収をあげていたという。

いかがわしかったのは、金銭問題だけではなく、モラルの面にまで及んでいる。教皇の地位にありながら、妾をもち、子供までもつ。もちろん公にはできないから、表向きは甥ということにしておく。一般の聖職者もそれにならい、妾をもつことはもちろん、中には居酒屋や賭博場を営むものもいた。

第二に、信仰の形式化である。ローマ教会は、制度や儀式に重きをおいていた。聖職者と一般の信者は厳密に区別された。宗教的な修練と奉仕に専念する聖職者は神によろこばれるすぐれた生活をおくっており、その行為によって救いに達することができる。しかし、日々宗教とは無縁な生活をおくっている俗人は、自分の能力と行為によっては救いに達することができない。そのような俗人のためにこそ、教会は存在している。ローマ教会が定める7つの秘跡(サクラメント)の儀式を受けることによって、人々は救われることができる。しかも、その儀式には魔術的な要素が色濃くまとわりついている。

このように、聖職者を特殊な宗教的能力集団として俗人から区別し、儀式を重視して魔術的要素を混じえるこのローマ教会の体質は、開けゆく新時代の人びとには堪えがたくなってきたのである。
-----------
引用終わり

権力のチェック機構、社会の木鐸、公器
全てメディアを冠する言葉ですが、実際はどうでしょう。
メディアの世俗化と腐敗堕落、そして広告主の情報は隠匿してしまうコマーシャリズム。
当時のローマ教会と似通っている部分はありませんか。

もちろん、聖職者とメディアを同列に論じる訳にはいきません。
メディアも資本主義の中で会社運営を行っていくためには、「経営」しなければなりません。
ただ、一方で「聖職者」を装いつつ、特定の利権や団体には甘いという素顔(ダブルスタンダード的体質)に対するアンチテーゼが今のBlogに見られるメディア批判なのだと私は認識しています。

ついでに、当時の印刷物に占めたルターの超人的活動量について

ここから引用
----------
聖書第一主義とか言いながら、この時代までドイツ語の聖書はなかった。みんなラテン語。ドイツ語で読むことができなければ、ドイツ人はどういう信仰をもったらよいかわからないでしょ。そのためにはドイツ語訳聖書が是非とも必要だったのです。
 このときのルターの翻訳は名訳で、現在のドイツ標準語の規準となったということです。
ルターの宗教改革がヨーロッパ中の話題となったのには急速に普及し始めた印刷物の活用抜きには語れません。
 ルター自身が大量にパンフレットを発行します。1519年ドイツ全国の出版物が約110冊、そのうち約50冊がルターの書いたものです。翌1520年、ドイツ出版総数200冊。そのうちルターが133冊。すごいですね。
----------
引用終わり
http://www.geocities.jp/timeway/kougi-59.html

凄すぎる・・・。

カトリック教会が教義を独占して信徒に伝える時代はこうして変化を迎えました。
人々は印刷された聖書により、聖職者に因らない情報を手にしました。
インターネット・Blog時代も既存のメディアの有り方に大きな変化を与えています。
特に、Blogが持つ「双方向性」は情報の検証に大いに役立って居ます。

確かに、冒頭で列記した問題点Bの様に、一般人には入れない現場があったり、感情的に情報を垂れ流す素人が居る事も事実です。
しかし、プロもまた情報をミスリードします。
仏の暴動報道に見られる様に、プロもまた自身の固定観念で情報を誤って伝える事もあります。

宗教改革によってカトリックは滅びなかった様に、既存メディアはその手法を好む視聴者が残り、そして今後しばらくは一次ソースのソース源として役割は変われど、無くなる事はないでしょう。

重ねて言いますが、メディアが情報を独占出来る時代は終わりました。
Blogを批判する前に、何故メディア批判がBlogで沸き起こるのか、メディア人は考えて見てはいかがでしょうか。
ニュース23程の予算があるのなら、もっとしっかりとした分析をして欲しいものです。


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コメント(5件)

内 容 ニックネーム/日時
私も見てましたが、絶対的批判ではなく、「既存メディアと補完しあって共存できる」ということも言ってました。

最後3行の意見はごもっともだと思いますし、たしかに現メディアが100%信用できるとは決して思いません。ですが、ブログの中には思い込みや明らかなデタラメを垂れ流しているものも多く、残念ながら私はブログの信頼性はもっと低いと思います。
アッウェ
2005/11/24 20:27
コメントありがとうございます。
確かに、現在のブログ世界は黎明期の新聞と同じく百花繚乱、玉石混交ともいう状態です。
ご指摘の様に、思い込みによる明らかなデタラメを垂れ流しているブログが少なからずあることも承知しています。
ただ、ブログが新聞と決定的に異なる点は「双方向性」にあると見ています。
常に陳腐化されているニュースではなく、記事一つ一つが読者の指摘で「検証」していくことが出来るというのは大きな強みだと私は思っています。
新聞欄のコメント欄は確かに読者のフィードバックですが、それはフィルター後の意見でもあります。
ブログでは作者が「削除」機能を有しているとは言え、一義的にフィルターを通さずに書き込める、掲載されるというのは大きな違いではないでしょうか。
記事の「発展性」、そして「検証」。
これがブログの大きな強みだと思います。

しかし、ブログは既存メディアの代替にはなり得ません。
それは、経済的基盤が無いからです。
個々のブログはブログ主の知的欲求から成っており、経済的側面からの影響は排除出来るものの、サイト自体の継続性が保証されていないからです。

ピーノ
2005/11/24 22:27
(続き)

ともあれ、ブログは個々のブログ主が期せずとも、メディアの補完機能、チェック機能の役割をより増していくことでしょう。
今の様な百花繚乱の時代は読者の厳しい取捨選択が行われ、信頼性の低いブログはいずれ淘汰されていくであろうと私は楽観的に考えています。
何よりも、様々な情報の読み方、価値観に触れる事で、読者自身が「情報の取捨選択を恣意的に行う」というよりも、情報の「信頼性」を厳しくチェックしていける様になるかと思っています。

ピーノ
2005/11/24 22:37
(続き:最後)

 某巨大掲示板2ちゃんねるでは、面白い事に匿名を利用した捏造書き込みが多発した為、歴史問題を扱うスレッドでは、「ソース」(情報源)が重要視されています。
これは非常に面白い現象だと私は思っています。
便所の落書きと認識されているからこそ、「便所の落書き」を越える信頼性をいかに付与させるのか。
まだまだ稚拙ではありますが、従来の日本には無かった「自己の主張を観客に納得させる」技術がそこで経験的に身につけられている気がします。(書き込んでいる本人はそんな気は毛頭も無いでしょうけどw)

何はともあれ、「一方的な情報の垂れ流し」から試行錯誤の「双方向」へと時代が移っているのは私には非常に好ましい事だと思っています。
ピーノ
2005/11/24 22:38
総てにおいて、完璧なものを求めるのは無理です。
何かを知ろうと思えば、多面的に調べなければ・・・。
と思います。
現実そして理想、意見やデマなど
報道にもブログにもあるとすれば、それらを飲み込んで
消化しましょう。
その力を持ちたいと思うんです。
眠り姫
2005/11/24 22:39

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