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zoom RSS ライブドア騒動 -毎日新聞の反省-

<<   作成日時 : 2006/01/30 13:45   >>

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発信箱:どのツラ下げて… 山田孝男(編集局) 毎日新聞西部本社(北九州市)が発行した1945年8月16日付朝刊は1面の一部と2面が真っ白だった。当時の新聞は表裏2ページしかない。前日まで焦土決戦をあおった揚げ句、「国民も今日から転換するのだなどと、どのツラ下げて言えた義理か」という高杉孝二郎編集局長の判断で終戦勅語と行政告示しか載せなかった。彼はまもなく社を去った(毎日新聞130年史)。

 検察の尻馬に乗った鈴木宗男バッシングを競いながら、今や彼を評論家としてもてはやすメディア。前日までホリエモンをもてはやしながら、検察次第で怒とうの堀江たたきに走るメディア。むかし軍部追従、いま検察追従で、変わらぬものといえば俗論迎合の卑しさしかないおまえが、どのツラ下げて明日を語り、針路を説くのか。そう感じている読者が少なくないと思う。

 小泉純一郎首相はホリエモン選挙に肩入れした責任を問われて「批判は甘んじて受けるが、メディアはどうなのか」と切り返した。「新聞批判は甘んじて受けるが、テレビ、週刊誌こそ」と言ってしまいがちな私どもと似ている。

 いまや政治に対する観察者、批判者であるという以上に、政治権力を生み出す装置となった感のあるメディア。その無節操な暴走癖、過剰な存在感・圧迫感と加害性を省みず、「悪いのはオレではない」と逃げ腰の醜さが読者の失望を誘っているようだ。どうにも旗色が悪いが、毎日新聞は署名記事を原則にしている。だから許せとは言わない。白紙の新聞を出す予定はないが、それを出した先達の存在を肝に銘じて進みたい。

毎日新聞 2006年1月30日 0時13分

http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20060130k0000m070110000c.html


ようやくまともな反省記事が出てきたみたいです。
毎日新聞は風見鶏と揶揄される事がありますが、こうした批判をきちんと受け止め、分析が出来ることは評価すべき事ですね。



高杉孝二郎氏について、面白いブログを見つけましたので紹介します。

以下、「人生日々是好日」
元毎日新聞社員の方のブログより転載

[5090] 新聞の戦争責任・・・・高杉孝二郎氏の場合

 ★終戦から60年。ポツダム宣言を受諾し、無条件降伏したあの日に生まれた人はもう還暦を迎え、国民の過半数は”戦争を知らない”と言うのに、アジア諸国から日本政府と日本人の歴史認識を問い質す反日抗議運動が続きます。

 ★それに呼応するかのように国内でも、いわゆる戦争責任を問い直す人々の声も高まってきました。終戦の日には僅か15歳。その責任を問われても、当事者能力を全く欠く私に何の答えようもないのですが、ただ、私が長ずるに及んで新聞記者をした、と言う事実だけで、「戦争を謳歌し、国民を扇動した新聞の責任はどうなんだ!」と詰め寄られることも再三です。

 ★その度に、繰り返してきた弁明を、このブログに記録しておきたいと思います。他の新聞のことは知りませんが、私が入社した当時、この問題について先輩記者から教わった話です。後に、その話は、「毎日新聞100年史」にも記録されましたので、十分、検証された事実だと信じております。

 ★私もハッキリ覚えていますが、当時の新聞はたった2n、1枚の紙の裏表だけのものでした。地方では、それも朝日、毎日2社と地元地方紙の3社が共同で発行する形式で、私が住んでいた広島では「朝日、毎日、中国」の3社の題字が並んで印刷されていました。

 ★ただ、都会地では、各社それぞれに自社の題字だけの紙面作りをしていました。1n16段組。今から考えると、活字がビッシリ詰まった窮屈な紙面でした。

 ★1945年8月16日朝、毎日新聞西部本社で未曾有の珍事が発生しました。関門地方に配達された同日付け『毎日新聞』(西部版)は、1面トップにポツダム宣言受諾を告げる記事で半分ほど埋めましたが、その下と2面全部が白紙。

 ★異変は翌日も続き、17日付も1面は記事が10段しかなく、その下6段と2面は白紙。18日付も2面は13段半分が白紙で、1面には「今日、只今のわれらとして掲載無用と信ずるものは掲載を見合わせております」との前例のないお断りが掲載されました。19日付も20日付もこの異常な状態が続き、結局、平常の紙面に戻ったのは六日目の21日でした。

 ★この白紙事件は、終戦の日に起こった毎日新聞西部本社の特別な社内事情が反映したものでした。西部本社の編集責任者は重役待遇の高杉孝二郎編集局長でしたが、高杉局長は、ポツダム宣言受諾・無条件降伏の情報に接すると、直ちに次の進言を添えて辞任を申し出ました。

 ★「この日まで戦争を謳歌し、扇動した大新聞の責任、これは最大の形式で国民に謝罪しなければならない。本社は解散し、毎日新聞は廃刊。それが不可能ならば重役ならびに最高幹部は即時総退陣すべきである」 

 ★しかし辞表は受理されず、新聞発行の責任を担わされたままでは放置も出来ず、高杉局長は「終戦詔勅と公的機関の発表と事実の推移だけを紙面化せよ」と指示、その結果が連日、紙面の半分以上が白紙、となったのでした。

 ★後、これは社内の大問題になりましたが、高杉局長は「前日まで”鬼畜米英”を唱え、焦土決戦を叫び続けた紙面を同じ編集者の手によって180度の大転換をする器用なマネは良心が許さぬ。”国民も今日から転換するのだ"などとどの面下げていえた義理か」と弁じて動じなかった、と言われています。

 ★結局、この事件がキッカケで、奥村信太郎社長、高田元三郎編集総務ら5重役と高杉局長が退社しました。その後、毎日新聞社員による戦争責任の明確化と社内民主化の運動が盛り上がった、と伝えられています。私が毎日新聞に入社したのは1954年。そのことがあってから僅か9年後でした。

 ★独立に続いて朝鮮戦争が勃発、池田内閣の所得倍増論が豊かな夢をかき立てて、「もはや戦後ではない」と経済白書が規定した時代へと進んでいました。 もはや戦争責任問題は、誰も口にすることはありませんでした。

 ★それが、何故、今??? しかも【戦争を知らない世代】の人々が、何のためにかくも情熱的に指弾し、抗議行動を起こすのか? 皆さんが告発する新聞の戦争責任に関して言えば、少なくとも、毎日新聞西部本社において、60年前の今日から5日間、自らの良心に照らして戦争責任をとった言論人があったことを知って欲しいと願います。

★高杉局長は、退社後、故郷の千葉に戻られて、地方新聞を設立し、自ら社長兼主筆として終生、言論人として生きられた、と仄聞しますが、委細は不明です。


http://zenmz.exblog.jp/1494198#1494198_1


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