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zoom RSS 臨時政府の「対日宣戦布告」64周年の記念式

<<   作成日時 : 2005/12/09 11:56   >>

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韓国の歴史認識に関して、面白い記事が中央日報で報道されました。

臨時政府の「対日宣戦布告」64周年の記念式

国家報勲処は9日午前、白凡(ベクボム)記念館大会議室で、大韓民国臨時政府が日本に宣戦布告した「対日宣戦布告日」の64周年を迎えて記念式を行う。

記念式には朴維徹(パク・ユチョル)報勲処長をはじめ、独立運動関連団体の首長と光復(独立)会員ら約300人が出席する。

「対日宣戦布告日」は、日本が真珠湾を攻撃した翌日の1941年12月9日で、臨時政府が奪われた国権を取りもどすため、日本への宣戦布告を行い、声明書を発表した日。臨時政府は、この日から連合国の一員でとして参戦した。

http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=70473&servcode=200

え????
日本って韓国と戦争したっけ?????

驚きの事実ですが、韓国では「抗日戦勝利」は「定説」みたいですね・・。
韓国の国定教科書にもしっかり記述されています。
(注)2000年発行のものです。現在とそう大差は無いと思いますが、現在は違うという指摘があれば修正致します。

対日宣戦布告と韓国光復軍の活躍
 大韓民国臨時政府は中国国民党政府とともに、移動をくり返したが、重慶に定着した以後には、政府組織を本土の失地回復のための体制に整備した。そして散らばっていた各地の武装勢力を臨時政府傘下の韓国光復軍に統合し、軍事力を強化した。

 太平洋戦争が起きると、臨時政府はすぐに対外活動を展開し、対日宣戦布告を発表し、韓国光復軍を連合軍の一員として参戦させた。その後、ドイツに対しても宣戦を布告することによって国際的地位を高めた。
 第2次世界大戦に参戦した韓国光復軍は、中国では中国軍と連合して日帝に対抗し、ミャンマー、インド戦線にまで派遣されイギリス軍との連合作戦を遂行した。対日戦に参戦した韓国光復軍は、直接戦闘に参加すること以外に、捕虜の審問、暗号翻訳と宣伝ビラの作成、対敵懐柔放送などの心理戦にも参加した。

 韓国光復軍は中国と東南アジアー帯で連合軍とともに対日戦に参加するとともに、もう一方では祖国の光復をわれわれの手で勝ち取るために、直接国内に進入し日本軍との全面戦を展開することを計画した。

 韓国光復軍は総司令官池青天、支隊長李範奭などを中心に、中国に駐屯していたアメリカ軍と連合し国土の失地回復作戦の任務を担当する国内挺進軍を編成し、特殊訓練を実施し、飛行隊の編成を計画した

 しかし、1945年8月15日、日本の無条件降伏によって、韓国光復軍はその年9月に実行しようと準備中だった国内進入計画を実現できずに光復を迎えたのである。

http://members.tripod.com/textbook_korea/fr_2.htm

・・・国際的地位を高めたって表現はいかにも韓国人らしいですね。
そして「計画」段階のものまで載せる必要は無いと思うのですがw
突っ込みどころ満載の教科書です。


さて、韓国の立場ですが、戦後の交渉の流れから見ていきましょう。
Toron.pepper.jpより引用
http://toron.pepper.jp/homej.html

1949年11月23日

John J.Muccio駐韓米大使が、「在韓日本財産を日本の全賠償として韓国が受け入れることを条件として、対日講和会議に参加させるよう」に本国に勧告。


1949年12月29日

勧告を踏まえ、講和条約米国草案では、韓国の講和会議参加を認める。


1951年4月23日 吉田・ダレス会談
・日本:「韓国は開放された国であり、日本と交戦国ではない。大部分が共産主義者である100万人以上の在日が、連合国の国民として財産と補償を受ける権利を得る。」
・アメリカ:「世界情勢から判断してアメリカは韓国の威信を高めたいので韓国が条約への署名国となるよう引き続き努力したい。利益を取得できる国を日本の降伏時に交戦国であった連合国に限ることによって問題を処理できる。(韓国の署名に)同意してほしい」
・日本:会談後、「連合国の一員でないことが明白ならば、異議を固執しない」とアメリカに文書(補足陳述書)で回答。


1951年5月 ワシントンで開催した米英協議
イギリスが「韓国は日本と交戦状態になかった」として韓国の署名に猛反対。


1951年7月9日 米Dean Rusk国務長官特別補佐官・梁裕燦韓国大使会談
韓国大使に「日本との戦争状態にあり、1942年1月の連合国宣言に署名した国家のみが講和条約に署名できる。従って韓国は署名国とはなれない」と通告。韓国大使は「日本と戦った韓国人部隊が中国にあった。臨時政府として対日宣戦布告をした。」と抗議。しかしアメリカは、「韓国臨時政府を一度も承認したことはない」と拒否


1951年8月16日
米国務省が講和条約最終草案を発表。韓国の不参加が決定。



教科書内の記述と相反する内容ですね。
韓国の歴史教科書ですが、皆さんは1940年代が「空白」に近いほど簡単な記述になっているのに気付きましたでしょうか。
本来なら、「光復軍の活躍」そして大々的な「抗日戦争の実態」を書かなければならないところですが。何故なのでしょうか?

以下引用
最大の理由は、その「抵抗史観」にしたがえば、この時期にはめぼしい抵抗の歴史が見あたらないためである。
解放後に、「金日成抗日革命神話」を作り上げた北朝鮮においてすら、1940年代は空白になっている。

韓国の公式史観が強調する上海亡命政権の流れをくむ「光復軍」が、重慶の蒋介石政権やそれを支援していたアメリカ軍の指導下にあったように、旧満州にいた金日成の「人民革命軍」も共産系の中国人の下で、極東ソ連軍に組み入れられ、極東ソ連にいた。

つまり、海外でも独自の「独立戦争」は存在しなかったのである。



「自分達がこうありたい、こうあったはず」という願望や感情が事実より優先してしまうのは、歴史認識問題だけでなく、様々な分野で見ることが出来ます。

* 真相はどっち? http://pinoccio.at.webry.info/200512/article_9.html

民間レベルならまだしも、この様な「事実に基づかない」歴史を基に記念行事を政府レベルで行ってしまう韓国。
まぁ、他国の事ですからピーノも別に韓国に教科書問題をふっかけようとは思いません。
お好きにどうぞとさえ思ってますがw

韓国さん、日本の教科書批判なんてやってる暇があれば、自国の教科書の歪曲性を正してみたらどうなのですか?


最後に黒田勝弘氏の「韓国人の歴史観」より次の文章を引用

日本支配からの脱出、則ち解放は連合軍の対日戦勝の結果でもあったが、それ以上に自らの独立・抵抗党争の結果であると「自力」のほうに力点を置いている。

そして、自力で解放を勝ち取ったはずなのに、1948年まで独立政府を樹立できなかったのは「強大国の利害」が介入したためだというのが韓国における近・現代史の公式見解である。


しかし、日本支配からの解放を、連合軍の対日戦勝より、自らの独立闘争の結果だとする歴史認識は客観的ではない。
それは、米ソ(連合軍)による分割進駐、軍政、そして「建国」の遅れなどからも明らかである。
連合国および国際社会は、その「自力」を認めなかったのである。


従って解放をめぐる韓国の歴史認識は主観的と言うことになる。
韓国人としては当然、「自力」を強調したい。
その心情は理解できる。
「韓国人の歴史」としては、そうありたいということだろう。

民族の歴史とは、全て主観的と言ってしまえば、それまでだが、したがって民族の間で「歴史認識の一致」などと言うことは難しく、時には、あり得ないと言うことになるのである。



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