ピーノの独り言

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zoom RSS 歴史の光と闇、そして弱者とは?

<<   作成日時 : 2006/04/27 11:59   >>

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今回もmumurブルログより、前田日明氏の発言を引用します。
彼の発言は、永年私が抱いていた「違和感」をズバリ言い表してくれました。



日本のやった戦争に問題があったのは確かだけれど、当時の日本人にしたら、煩悶、苦悩を重ねた末にやらざるをえないと覚悟を決めてやったわけでしょう。男子に生まれ、徴兵されたら、否でも応でも闘うしかない。なかにははっきり嫌だと思っていた人もいただろうけれども、一応は「お国のため」という大義名分で自分を納得させたはずでしょう。 そういうそういうギリギリのところで国とか公に殉じた精神、心根を汲まなくて、全部あの戦争は侵略だったみたいにして断罪するのはそれこそ卑怯だと思います。敗北と言う結果が分かっていて、まるで時間のカンニングペーパーを見て答案を書いているようなものじゃないですか。カンニングペーパーを使って、当時の人たちの行動を批評するのじゃなくて侮辱する。そういう人たちの書いたもの、言っていることというのは、もう本当に嫌ですね。しかも、自分は日本の罪を認めています、悔いていますという、自分一人だけを良心の高みに置いているような感覚がたまらない。



どんなものにも光と闇がある。歴史もそうです。広瀬武夫や佐久間館長のような軍人もいれば、そうでないひどい軍人もいたでしょう。誇らしいこともあれば、惨めな、恥ずかしいことを背負っていくこともあったはずです。でも、そうした諸々を引っくるめて背負っていく。そういう熱い思いが、歴史を語るには何より大事じゃないですか。俺はそう思いますね。



(従軍慰安婦問題に関して)俺は、やむをえなかったというのも、一方では確かなことだったという気がするんですよ。当時、東北の農村なんか本当に貧しかったわけでしょう。日本の娘も遊郭に売られれることは珍しくなかった。それは朝鮮半島も同じだった。そういう現実を前にして「親には考を尽くす」という価値観のなか、親がそうしたのか、子供がみずからそうしたのか、それはもうさまざまだったろうけれども、逃れられない運命のようなものに、人も国家も翻弄されたというのが実相だったんじゃないかと思うんです。確かにその舞台が戦場と言うことで、いっそう悲惨になったのは間違いないけれど。



(従軍慰安婦問題・強制連行に関して)俺はいろいろと親戚とかに昔の話を聞くんだけれど、少なくともその範囲では聞かなかったですね。



近親憎悪が日本と韓国の間にはある。結局、似ているということがかえって反発や憎悪を生んでいるんだと思います。とくに韓国の場合、儒教がいい意味でも悪い意味でもプライドになりすぎているから、歴史的にその文化圏の辺境にある日本に対してはどうしても優越的感情を持つことになる。日本の文化の源はすべて朝鮮を通じて伝えられたと言う意識ですね。



名前を出して悪いんだけれど、辛淑玉さんなんか見てると、情けなくなってくる。差別されたとか、日本は加害者だとか言うだけで、それだけ叫び続けて一生を送るのかなと思うと、とても俺は共感できない。力道山や大山倍達だって差別されたはずだけど、ちゃんと一個の人間として、大した生き方をしてみせたじゃないですか。有名無名に関係なく、俺の知ってる限りそういう在日はたくさんいますよ。



でも俺のような考え方は、在日の中でも少数だと思います。たとえば在日への差別問題にしても、日本の部落問題と同じように、実際にそれを「食い物」にしてるやつがずいぶんいます。自分が現役引退を契機に出自を公にしたら、もう嫌になるぐらい多くの奴が寄ってきましたよ。でも、その中にどれだけ本物がいたか。



朝鮮総連や韓国民団は日本に対して差別だなんだと言うけれど、同胞が北朝鮮でどういう目に遭わされているか、あるいは韓国に帰ってどういう扱いを受けているかについては、世の中に聞こえるような形では誰も何も言わない。何だこれは!



出自が在日だからということで韓国で就職差別を受けたり、北朝鮮に帰国すれば殺されたりひどい目に遭わされたりする。こういうことに黙っていながら、日本国内の差別反対だとか、参政権をよこせだとか言う人間を、少なくとも俺は信用できない。



出典:《発掘対談》「在日」と「日本人」の間で… (平成11年)
格闘家・前田日明/文芸評論家・慶応大学教授 福田和也

http://blog.livedoor.jp/mumur/archives/50471710.html





前田日明とは?

前田 日明(まえだ あきら 1959年1月24日 - )は元プロレスラー。現在はK-1 HERO'Sでスーパーバイザーを努める。かつてのリングネームは「前田明」。大阪府大阪市大正区出身。

元在日韓国人の三世で、民族名は高日明(コ・イルミョン、고일명)。現在は日本に帰化しているが、先祖は李氏朝鮮期に宮廷で高官の地位にあったと自称している。韓国訪問時に在日として理不尽な扱いを受けたことから帰化を決意した。

日明の名前は祖父が命名したものであり、デビュー当時は「前田明」の名前であったが、祖父への思いから日明の表記に変更したと、『週刊プレイボーイ』のインタビューで発言している。


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
※ その他、詳細はこちらをどうぞ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E7%94%B0%E6%97%A5%E6%98%8E




ここからは私の弱者観

ピーノは「部落」と呼ばれていた地区の傍に引っ越してきた家族の下に産まれました。
勿論、小学校も部落地区に隣接した小学校に通っていました。
そこでは、通っている子供の半数以上(!?)がその地区からであり、同和教育も重点的になされていました。
道路に隣接していたとは言え、公立の小学校で冷暖房が完備されており、子供心にはこれが当たり前だと思っていました。(今から思えば、とても「配慮」された学校だったのだと思います)
同和教育を日常的に受けた身としては、日本には、いかに酷い差別があり、彼らは本当にかわいそうな人達なのだと頭の中では思い込んでいました。

でも、実際の生活は異なっていました。
いじめられっ子が学年に1人居ましたが、彼は部落とは全く無関係の子供でした。
いじめていたのは、逆に部落出身の子供達でした。
私は今でも、同和教育の後に笑顔で彼らの1人がボソっと残した言葉が忘れられません。

「実際いじめてるのって俺らやんw」

いじめられっ子の家庭こそ、貧乏に喘いでいた家庭だったのですが。
(対照的だったのは、その子の服装がブランドのバッタ物だったのに対して、彼らは常に国内のブランド物を揃えていた事。)

いじめの現場を見た先生は勿論止めます。でも、結局はなぁなぁで済ませられて居ました。
私の知る範囲では、その事で親が呼び出された事等、聞いたことも見たこともありませんでした。

ファミリーコンピューター(ファミコン)が世間で流行った時には、最新のゲームを持っているのは、常に彼らの方でした。(ピーノは家が厳しいので買ってもらえませんでしたが;;)

児童館という市の施設で、授業後の特別補修を受けられるのも彼らだけでした。
仲の良いクラスメートが通っていたので、先生に「行ってもいい?」と聞いた事がありますが、「あなたは駄目よ」と言われてガッカリした思い出があります。
その時は何故駄目なのか、理由がわかりませんでしたが。

銭湯も、私が一般料金で入っている中、彼らは特別料金でした。

ただ、「彼ら」とは言っても、全員がその様な訳ではなく、クラスでも成績優秀で某大学に入ったクラスメートの家庭は、後に聞いた話では、小学校卒業後に、そこから引越しをしたそうですが。

親から聞いた話でも、PTAでも何でも、声の強い親の意見が結局通ってしまう。
それに、地区出身の親達は連帯感があり、結局外部の我々が疎外されてしまうと。

小学校に通っていた時には、弱者は明らかに私達でした。


この様な環境で育ちましたので、「差別!差別!」と声高に叫ばれ、大人達の対応を見て、これについて疑問を呈する事、語る事自体がタブーという風潮は肌で感じていましたが、彼らが「弱者」という見方には常に違和感が付きまとって居ました。
そして、弱者も強者も、立場は容易に入れ替わるものであり、共に同じ人間なのであるという事も実感しています。

世間的に認定されている「弱者」は、常に弱者なのか?
世間的に認定されている「弱者」だから、彼らの為す事には誤ちは全く無いのか。

世間的に認定されている「弱者」は、常に正義であり続けるのか?


在日の問題も同根だと思います。
既に、現在国内で生活をする在日社会の大半が徴用で連れて来られた韓半島出身者の子孫で無い事が明らかになっています。

※参考過去記事
在日韓国人の参政権付与決議案、統一通商委が採択
http://pinoccio.at.webry.info/200601/article_41.html



結局、「弱者」とは一体何なのでしょうか?


上のmumurさんのブログ、最後のコメントより引用。


ここで潔癖症の正義感は、その「疑っている自分」に対しても嫌悪感を引き起こす。異論は受け入れず、「事実かどうか」は無視される。その結果、一般人との認識が乖離し、ますます大衆の支持を得られなくなる。

この「絶対的弱者」と「それを擁護している自分」という強固な図式は、実は彼らの差別意識の現われだと思うんだよね。潔癖症で正義感が強いからこそ、自分の内にある差別意識を取り除くべく、他人を糾弾し続ける。

近年のリベラルの凋落は、こういう本質に気づいた人が多いのも原因の一つだと思う。



過去に差別があったことも、それによる不当な扱いがあった事も否定はしません。
その撤廃の為に様々な運動が起き、政策に反映されていった帰結が現在なのです。
しかし、運動を起こす側は、その過程で、それが生活の糧を得る「職業」、そして「自己の存在目的」となってしまった。

まるで、明治維新で不要になった武士階級の様に、彼らは戦場を捜し求めているのでしょう。
自らを正義と任じ、もう一度ヒーローになる事を夢見ているのでしょうか。








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ピーノの独り言
2006/12/27 21:40

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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
ピーノ様。お久しぶりです。

またまた、おかげでいい文を読ませていただきました。

韓国人の私がいうのもなんですが、
私の考えともほとんどのところが一致します・・


聞いたはなしですが、「娘を売った」というのは韓国では60年代までもよくあったことだそうです。

sincerelee
2006/04/27 20:12

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