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zoom RSS ドイツの国歌を知ってますか? 伝統とは何ぞや

<<   作成日時 : 2006/12/31 03:19   >>

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今回は国歌のお話です。
皆さんは日本と同じ敗戦国のドイツの国歌を知っていますか?



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これもエンコリからの転載です。



ドイツ国歌とドイツの謝罪 | 伝統文化・工芸
No.61268 投稿者: nisiokatuyosi


ドイツ国歌とドイツの謝罪

1:
Deutschland, Deutschland uber alles,
uber alles in der Welt,
wenn es stets zu Schutz und Trutze
bruderlich zusammen halt,
von der Maas bis an die Memel,
von der Etsch bis an den Belt
Deutschland, Deutschland uber alles,
uber alles in der Welt!
1:
ドイツ、ドイツ、すべてに勝るドイツ
全世界に勝る国となる
国家の保護のために力を合わせ
マースからメーメル、エッチュからベルトまで
すべてに冠するドイツであれ

2:
Deutsche Frauen, deutsche Treue,
deutscher Wein und deutscher Sang
sollen in der Welt behalten
ihren alten schonen Klang,
uns zu edler Tat begeistern
unser ganzes Leben lang,
deutsche Frauen, deutsche Treue,
deutscher Wein und deutscher Sang
2:
ドイツの女性、忠誠、ワイン、詩歌は
その古き良き評判で全世界に維持される
我々の優秀な行いは命の限り我らを陶酔させる
ドイツ人女性、ドイツの信頼、
ドイツワインとドイツの歌よ

3:
Einigkeit und Recht und Freiheit
fur das deutsche Vaterland!
Danach last uns alle streben
bruderlich mit Herz und Hand!
Einigkeit und Recht und Freiheit
sind des Gluckes Unterpfand.
Bluh im Glanze deines Gluckes,
bluhe, deutsches Vaterland!
3:
団結、正義、そして自由を
我らが祖国ドイツのために
その為に我らは心と手を通わせ全力を尽くす
団結、正義、自由は成功の礎
幸運の輝きの中で栄え、祖国の為に栄えよ



上の歌詞はドイツ国歌「ドイツの歌」である。
「ドイツの歌」は、1841年、ドイツの文学教授によって作詞され、ハイドンがオーストリア皇帝に捧げたメロディーが使用された。



「ドイツ、ドイツ、すべてに勝るドイツ 全世界に勝る国となる」と歌い出される。

このため、「世界に冠たるドイツ」と言う通称で知られる。
当初は普及しなかったが、ビスマルクによってドイツが統一されたあとの1890年代、軍隊や保守派によって愛唱されるようになった。
第1次世界大戦でドイツが敗れ、ワイマール共和国となって間もない1922年、正式に国歌となった。


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ヒトラーは、ワイマール時代を否定したが、この国歌はそのまま引き継いだ。常に、ナチスの党歌「ホルスト・ビッセルの歌」とあわせて流され、特に歌いだしの部分は、世界を支配下に置こうとするヒトラーの野望に符合した。
ドイツ国民の間でも、帝国主義、国粋主義、軍国主義の歌として理解された。「ドイツの歌」はカギ十字と共にヒトラー「第3帝国」のシンボルとされ、国民を戦争へと駆り立てた。


終戦後、ドイツを占領した連合国は、この国歌を禁止した。
しかし、1949年、分断されたドイツの西側地域が西ドイツとして再出発すると、初代首相アデナウァーは「ドイツの歌」を国家として復活させることを主張した。


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初代大統領ホイスは、国歌を制定し直すことを狙い、候補作を1950年の大晦日に全ラジオで流した。
世論調査では、国民の4分の3が「ドイツの歌」を支持した。
ホイス大統領は、アデナウァー首相に「私は伝統を過小評価していた」との書簡を送り、国歌復活を認めた。
「ドイツの歌」が再び正式な国歌となったのは1952年だった。



歌は、1番と2番の内容に問題があるとの判断から、対外的には3番だけが歌われることとなった。
フランクフルト市のあるヘッセン州では、1986年、音楽教師が、4年生に1,2番の歌も歌わせようとして、一部の保護者や教員組合と対立した。州政権を握っていたのは、保守のキリスト教民主同盟で、州教育省は、音楽教師の方を支持した。
この年の世論調査では、1番から3番まで国歌として学校で教えるべきとする意見について、賛成、反対、わからないとする声が、4:3:3の比率に分かれた。
世代や政治的立場で様々な意見が出されたのである。



国歌「ドイツの歌」は、極めて保守的な歌詞を持ち、国粋主義的色彩に彩られている。それにも拘らず、終戦から7年後に蘇った。ナチスの象徴であった「カギ十字」が切り捨てられたのとは対照的である。



ここにドイツによる「過去の清算」の仕方がはっきり示される。
ヒトラーとナチズムに関わる物か、「ドイツの伝統」に関わる物であるかの違いである。



ドイツ人にとって、第2次世界大戦とは、国民が騙された物であり、戦争責任は全てナチスにあるとの認識である。
それ以前の国民の伝統には、それがいくら国粋主義的考え方であっても悪ではないのである。
国民の伝統は国民自身であり、ナチスは国民が騙された悪なのである。
ドイツ人にとって、第2次世界大戦の清算は、ナチスに全ての罪を負わせることであり、国民と国家の伝統に免罪符を与える清算である。




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「転載自由、この注意書の削除禁止nisiokatuyosi」
転載の際、一言もらえるとうれしいです

http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&page=2&nid=74589




こちらはwikiからの引用

論争
オーストリア人ハイドンがハプスブルク皇帝を賛美するために作り、ハプスブルク家統治下のオーストリア国歌でもあった曲がドイツ国歌となっていることに釈然としないオーストリア人は多い。これに対してドイツ側のエクスキューズはおおむねこうである。

1806年以前にはオーストリアという国は存在しなかった。法的には「ドイツ人の神聖ローマ帝国」皇帝でありドイツ王であるハプスブルク家が大公を兼ねるオーストリア大公領でしかなかった。したがって作曲当時は「オーストリア皇帝」ではなく「ドイツ皇帝(神聖ローマ皇帝)」に捧げられたものである。
1806年以降もオーストリア帝国は1866年までドイツ連邦の議長国として、分裂ドイツ国家のリーダー役と見なされていた。

最近では同じ論法でモーツァルトを「史上偉大なドイツ人」として顕彰しようとした新聞が論議を巻き起こしており、議論はおさまりそうにない。一方、オーストリア国内でもドイツ民族主義が急進しており、「祖国ドイツよ」と歌詞で強調されるこの歌を高唱する右翼学生もウィーンでは目につく。



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ちなみに、以下はドイツ国歌の解説

解説

[編集] 1番
神聖ローマ帝国の形骸化と解体以降、一部を除き小国に分裂していたドイツ語圏の王国同士が「ドイツ民族(ドイツ語を話す人々)で集まり統一国家を築こう」とドイツが統一された時に、その統一の悲願が込められている。

ナチス・ドイツ時代では1番のみを国歌としていた。しかし戦後上記のような批判を受け、また歌詞に書かれている「マース川からメーメル川までエチュ川からベルト海峡まで」という地名がドイツ統一時のものであったが、現在ではドイツの領土ではないこともあって不適当とされている。

現在のドイツでは、この1番を高らかに人前で歌ったり、ラジカセで流していたりするだけでネオナチ疑惑がかけられる。


[編集] 2番
当時またはこれまでのドイツの文化、歴史について書かれている。歌詞の内容がもっぱら言葉遊びに終始していることや、女性差別と解されることから、正式に採用されていない。


[編集] 3番
ドイツ語圏の小国同士が悲願であったドイツ民族の統一に対しての展望が書かれている。歌詞中にあるフレーズ「Einigkeit und Recht und Freiheit; 統一と正義と自由」は、国の標語となっている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E3%81%AE%E5%9B%BD%E6%AD%8C


そしてこちらは、ピーノが調べた範囲でわかっている事

1990に東西ドイツは統一されました。
その後、1990年9月14日の「ドイツに関する最終的規則契約」により、統一ドイツが他国に対していかなる領土請求も行なわないことが国際法上の拘束力をもって確定されます。
 ワイゼッカー大統領とコール首相は1990年8月の交換文書において、ホフマン・フォン・ファラースレーベンの第3節にハイドンのメロディをつけたものをドイツ国歌であると確認しました。
 その理由として、とりわけ第3節こそが、「我々がドイツ人として、ヨーロッパ人として、そして民族共同体に属するものとして、守らなければならないと感じている価値を表現している」としています。
 ワイゼッカー大統領・コール首相の交換文書 「ドイツ連邦共和国のための基本法」


憲法9条というドイツよりも厳しい縛りを軍に作り、戦後一度も戦闘に参加する事無く歩んで来た日本。
日本の国歌もドイツと同じく戦前から歌われ、戦中、戦後と連綿と歌われ続けて来た。

戦後は一切の実権から外れたが、憲法では日本の象徴として厳然と定められている天皇。
その天皇を戴く歌が国歌であるのは何ら不思議でも無い。
国歌が天皇制を擁護するものだから反対と言うのなら、まず憲法を改正して象徴を廃せば良い。戦後左翼は何故かそこまで踏み込もうとしない。
天皇が象徴として定められた憲法の改正に。

周辺諸国の不信感?

中国の国歌こそ軍歌ですよ。
抗日戦争時の歌。 これこそ、日本に対する報復戦争を吹っかけられるのではとこっちが心配になるくらいの勇ましい歌。


日本が国歌を替える事で、本当に日本の望む平和が訪れるのならば、すれば良い。
しかし、私達の伝統を犠牲にして、得られる物は本当に私達の望む物なのだろうか?
一連の特定アジア諸国の動きを見ていると、とてもそうは思えない。

失う事は容易いが、一旦失われた物を取り戻すのは容易ではない。

そして、私達の歴史には現代の尺度で光も闇もある。
その闇をも内包しているからこそ、忘れてはならない、目を背けてはいけないのだと思う。
ハッキリ言って、私は君が代の単調なメロディは好きではない。
それでも、そこには近代日本を作り、築いて来た私達の祖先の営みが積もり重なっている。

私達が日本人として、アジアの一員として、そして日本という共同体に育ち、属するものとして次代に受け継いでいく事が大切なのではないだろうか。






最後に、大和魂ならぬ、ゲルマン魂鼓舞の記事です。

gooニュースの記事(AFP通信)によると、ドイツのシリー内相(写真)が8月24日付の“週刊新聞ツァイト”とのインタビューで、ドイツ代表のMFバラック(バイエルン・ミュンヘン)や、GKオリバー・カーン(バイエルン・ミュンヘン)らのサッカー・ドイツ代表チームのスター選手に対し、来年開催されるドイツ・ワールドカップを控え、国歌を誇りをもって大声で歌う習慣を身に付けておくよう呼び掛けた。
 更にシリー内相は、国歌はドイツ・チームの心意気を示すものだと強調して話した。

 シリー内相は2000年の欧州選手権(EURO2004)決勝リーグで、ドイツがポルトガルに0−3で完敗した試合を引き合いに出し、「ポルトガル・チームは腕を組み、国歌を高らかに歌っていた。それに引き換えドイツ・チームはピッチに弱々しく立ち、1人か2人が少し口を動かしていただけだった。私はその時『これでは負ける』と予言したが、果たして本当にそうなった」と語った。

ドイツはこの敗北により、1勝も挙げられずに決勝リーグから敗退した。
シリー内相はドイツ・チームが今のうちに対外試合で国歌を大声で歌う慣習を身につけ、来年6月9日からのW杯に備えるようにと勧告した。


FOOTBALL観察日記より
http://ameblo.jp/fantasista-now/entry-10003890824.html


ドイツと日本って泥臭い部分で何だか似ているのですよねw







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君は中国国歌の歌詞、知っているかい(3)
どうだ、わたしたちの歌は。曲はおごそかだし、歌詞はめでたい。まさに国家の品格のよさだ。 ...続きを見る
日日是生日(毎日が誕生日)
2007/02/02 10:20

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