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zoom RSS 朝鮮王朝の党争は高度な理論の対決!? 

<<   作成日時 : 2009/05/12 04:00   >>

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エンコリでの議論が見られなくなってから、少し遠ざかっていた韓国に関しての記事となります。
まぁ、韓国言論界はいつも通りの平常運転ですので、過去記事とそう変わらないのではありますが。
いつになったら変わってくれるんだろう・・。


〜 以下デイリアン(和訳)より引用 〜

10年間以上も多くの裁判所の部長判事を勤めた方が「どうせ植民地暮らしをするなら日本帝国だったのは非常に幸い」という言葉をぬけぬけと口にするのを見た。その方のお話では鉄道を作ってくれ、学校を建ててくれ、工場を建ててくれたことがありがたいという意味だが誠に情けない考えに違いない。
その方よりもっと高い席にいたある長官さえも日帝の植民地だったから今日、この程度の近代化を成すことができたと言い切る。

日本帝国が大韓帝国を強制的に併合しながらやらかした蛮行は一つや二つではないが、その中でも朝鮮王室の主宮である景福宮勤政殿の前庭に朝鮮総督府の庁舎を石造で作ったことは彼らがどれほど無知で浅薄な人々なのかを如実に見せてくれた結果だ。このようなやり方ならフランスを占領したナチスドイツ軍はベルサイユ宮に占領軍司令部を建てなければならないし、戦後に日本に進駐した米軍は彼らの天皇がとどまる宮城にGHQ(占領軍司令部)を置かなければならない。しかし、ナチスも米軍もそんな無道はしなかった。

1924年5月、日帝は京城帝国大学の官制によって法文学部・医学部を設置し、5月10日予科を開講することでいわゆる<京城帝国大学>が開校することになる。朝鮮は燦爛たる歴史を持ち、歴史に対する畏敬心で一杯な民族だったが、不幸にも近代学問としての歴史研究はその試みさえできなかった時代だ。朴殷植、申采浩など歴史に興味を持った人はいたが、朝鮮の歴史を近代的な学問として定立することができなかったという意味だ。その結果が京城帝国大学法文学部に<朝鮮史>という科目が設置されてもその講義を担当する朝鮮人学者が全くいない状態だった

朝鮮総督付きの歴史編修官だった今西龍が京城帝国大学の史学教授として赴任することで日本人教授が近代学問としての<朝鮮史>を講義するようになる。恥ずかしい事だが、今西のような日本人学者が<朝鮮史を近代的な学問として定立するためには無条件に読まなければならない諸本がある。

まさにそれが<朝鮮王朝実録>、<大東野乗>、<燃藜室記述>などの朝鮮の歴史を書いた本だ。このような諸本は日本の地にあるのではなく、すべて朝鮮にあったが、朝鮮の知識人は探求しなかったし、朝鮮を侵奪した日本人学者がそれを読んで<朝鮮史>を近代学問として定立した、という事実に強い羞恥心を感じるしかない。

京城帝国大学法文学部に入学して<朝鮮史>を習わなければならない朝鮮人青年の惨憺たる姿を考えて見れば分かる。朝鮮人の秀才らに<朝鮮史>を講義する今西教授が朝鮮のアイデンティティ(正体性)、朝鮮人の歴史認識などをありのまま、正直に講義するわけがない。彼は日本人だったから朝鮮国と日本国が合併するしかなかった当為性を講義するしかない。

朝鮮王朝は李姓を持った一部の部族が治めた国だから<李氏朝鮮>でなければならなかったし、<朝鮮>という言葉の代わりに<李朝>という言葉を使うようになり、<朝鮮王朝実録>は<李朝実録>に卑下され、<朝鮮白磁>は<李朝白磁>に卑下されるしかない。

それだけではない。朝鮮人は三人集まれば争うから<四色党争>になったし、このように国論の統一を成すことがなかったので日本国に寄り掛かって新しい文物を受け入れるしかない。このような考えがいわゆる<植民地史観>だ。京城帝国大学に入学した朝鮮人の秀才らはそれをそのまま勉強して踏襲しながら京城帝国大学を卒業するようになる。まさに彼らが朝鮮総督付きの編修官や専門学校の史学教授として赴任し、師匠の今西龍が口にした植民史観が今度は朝鮮人教授の口を通じてもっと広く深く広がって行く悪循環が20余年も繰り返された。

-党派争いのため朝鮮王朝は亡びた。並大抵な妄言ではない。各派閥の利益のみのために争う党争は朝鮮王朝時代より今の方がもっと熾烈で汚らしい。私たち韓国のハンナラ党と民主党の争いがそうで、海の彼方、日本の自民党と民主党がまたそうだ。

韓国の事情、日本の事情そしてアメリカの事情がまったく同じなのに党争のため国の亡びた例はない。どうして朝鮮王朝だけが党争のために国が亡びるのか。朝鮮王朝の党争は高度な理論が対決する。学識の足りない人間は割りこむこともできなかった。それは党争ではなく<政争>だ。

文/シン・ボンソン劇作家

デイリアン(韓国語) 党派争いで朝鮮が亡びる?
http://www.dailian.co.kr/news/n_view.html?kind=rank_code&keys=2&id=150240






 まぁ、劇作家が本職らしいので、彼の想像の中の舞台には、さぞかし素敵な朝鮮劇が流れているのでしょう。

 朝鮮王朝を最終的に滅ぼしたのは日本だから、その無念や怒り、恨みは理解致します。仮にGHQが天皇制を廃していたら、同様な悔しさを持つであろうことはピーノも想像出来ます。米軍そしてナチスまで出して批判をしているという事は、朝鮮王朝に対する敬慕の念がとても強いのでしょうね。
 でも、不思議なのはそれ程までに悔しい思いをしたのなら、何故戦後独立した際に王朝を形だけでも復興させなかったのでしょうか。実権を別に与えなくても、日本の様に象徴として復活させれば良かったのにね。実際、皇族はまだ存命だったし、現在でも子孫の方は生きていらっしゃいますよね。
 韓国の伝統・文化・誇りとしての王朝であったのなら、それを何故復活させないのか理解に苦しみます。また、そう言った運動が国民の間で起こらないのは何故なのでしょうか。不思議ですね。

朝鮮は燦爛たる歴史を持ち、歴史に対する畏敬心で一杯な民族」と書かれているのに、
・ 歴史研究はその試みさえできなかった
・ 歴史に興味を持った人はいたが、朝鮮の歴史を近代的な学問として定立することができなかった
・ 講義を担当する朝鮮人学者が全くいない状態
・ 朝鮮の知識人は探求しなかった 
と、ご自分で仰ってますけれど、論理破綻してませんか?

党派争いのため朝鮮王朝は亡びた。並大抵な妄言ではない
「妄言」という言葉は韓国メディアで本当によく使われますね。
何が一体妄言なんだろうと見ていくと、この方はこう仰います。

朝鮮王朝の党争は高度な理論が対決する

な、なんだってー!(AA略

学識の足りない人間は割りこむこともできなかった」程の高度な理論の対決であり、単なる各派閥の利益のみのために争う党争とは訳が違うのだーーーっ!という事らしいです、はい。

ところで、その高尚な理論の対決は結局何を生み出したのでしょうか。

ここからはピーノの解釈が多分に含んだ朝鮮歴史観になります。

【ピーノが解説する李朝の大雑把な流れ】 
※ 李朝と記しているのは、上記作者が言うような「侮蔑的意味合い」で使っている訳ではありません。


画像



李朝の太祖は朱子学を官学として保護し、中央集権制を敷きます。

 自分達のシンパであり、王朝成立に勲功のあった臣下等、新興地主層の政治参加が行われた李朝ですが、彼らを官僚として特権を認めたため、国政の私物化が起きます。それに対して、既存の地主層は、士林派を構成し、朱子学を理論的根拠に批判活動を行います。16世紀後半は、これら戚臣・勲臣と士林派の権力闘争の時代となります。
 ここで秀吉の朝鮮侵攻があり、国軍が役に立たず義兵が活躍すると、国政を担ってきた戚臣・勲臣グループが没落、彼らを批判してきた士林派が政治の実権を握るようになります。

 秀吉との戦闘では、明も国力を疲弊させ、清に併呑されるのですが、朱子学を理論的根拠としてきた士林派は異民族に併呑された明を見て、いよいよ自分達こそ本流であると自覚し正統であるとの認識を深めるのです。
※ この後、結局清に服属することになるのですが。

 朱子学というのは、一種の哲学であり、実学ではありません。朝鮮王朝において、行われていたのは、ある種哲人政治と言っても過言ではないかと思います。現実に合わせて政治を行うというよりも、その哲学に現実を適合させる。日本で言えば、憲法論議を年中やってるようなものです。よく似ているのは、朱子学を絶対視した当時と同じく、憲法自体が不磨の大典となってしまっていること。現実にどう適合させるかというよりも、今行っている政治の正当性を憲法の一言一句の解釈で喧々諤々やっているようなものです。
 何よりも、実務家ではなく、科挙に受かった人間が政治の実権を握る訳ですから、自分達の身分の拠り所となる朱子学に対する疑念を抱くべくもなく、その哲学的な議論や解釈が権力闘争の中心だった為に闘争の決着が付け辛く、また身分も不安定であったことが、官吏が国を豊かにするという事よりもそちらに目が奪われ、足の引っ張り合いといった結果となったのではないのでしょうか。こうした党争の結果、血縁で固めた一族が結束し、勢力を伸ばし実権を握ることになるのが李朝末期です。
 他にも、任地が数年で変わる官吏の常として、領国経営よりも、下手を打たずに任期中に出来るだけそこで稼いでおくことを常態化させたのが豊かになれない一因だったでしょうね。数年で変わるのであれば、後は野となれ山となれですし、何よりも改革をして、成果が出る前に任地を離れる可能性もあれば、その改革を口撃の種にされる危険性もある。出世したら出世したで、たかりに来る一族郎党を養ってやらないといけない。その為には取れるものは取れる内にそこで収奪しておく。そこで暮らしている人間にとってはたまったものじゃないですね。


画像



朝鮮王朝の党争は高度な理論が対決する

これは、当時の朝鮮の民衆にとって、どの様な利益があったのでしょうか。

100年後の日本で、「当時の日本の憲法論議や解釈は、学識の足りない人間は割りこむこともできなかった程の高度な理論の対決であり、単なる各派閥の利益のみのために争う党争とは訳が違うのだ」なんて言う人間が居たら言ってやりたいですね。 あほかと。



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内 容 ニックネーム/日時
楽しく読ませていただきました。
学問や経済はもちろん反日運動する反日日本人の受け売りです。つまり愛国どころか反日すら日本人に頼らざるを得ない状況なのです。
地理的な不利(つねに北からの侵略に脅かされている)を加味してもこれほど情けない民族はないのではないかと思います。
内政干渉になるので韓国内で反日運動をするなとは言いませんが、せめて実態に即した歴史教育を行ってほしいですね。
なおURL先は復刊ドットコムの『今西龍著作集』の投票ページです。復刊の主旨に賛同していただけるようでしたら投票へのご協力をお願いします。
大絶画
URL
2013/10/01 09:08

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